人の一生の価値は何によって測られるのか:ある青年の話

人が死ぬときに、その人の一生の価値は何で決まるのでしょう?確かに、稼いだお金の額ではないですね。(「スティーブジョブスの最後の言葉」では、彼自身の言葉でそれを語っていますね。)葬式に集まった人の数でも測ることはできないです。

先月末に顔を出したある集客講座の講師は、まだ29才の若さで、億単位を稼ぐ人でした。彼のお父さんは、破産し、精神疾患を患い、最後には自死するのですが、葬式の時に、親戚も含めて、誰一人来なかったということでした。

その事実の衝撃の中で、骨になってしまった自分の父の骨を拾いながら、彼は、心に誓ったそうです。「社会から、父が体験したこんな苦しみをなくするんだ」と。。そして、出会いと、学びと、ニーズに即したアイデアと、仲間と、たゆまぬ努力のお陰で、次第にビジネスが伸びて来ている状態です。

私は、彼の話を聴きながら、涙を抑えることができませんでした。葬式に来た人が一人もいなかった。でも、そのお父さんは、必死に生きたのです。その姿を息子が見て、ビジネスを通してこんな社会を変えるんだと決意して、お父さんが遺してくれたお金を持って、それまで低賃金で365日長時間働いていたスタイルから、彼が非常に得意な「あること」を活かして、それを、多くの人が起業で成功する為の大切なスキルとして教えて、自分も他者も成功する・・・そんな方法を見いだしました。

一生無名で、無一文になり、お葬式に誰も来なかった彼のお父さんの人生は、もしかして、本人にとっては、悔いに満ちたものだったかも知れません。でも、お父さんが、その時その時、最善を尽くして生きたからこそ、その生き様を見て育った息子が「きれいな目」をした大人となり、社会を変えたい思いを抱いて、活動しているわけですね。「次の世代を育てる」というお父さんの仕事は、究極的な方法で全うされたのかもしれません。。

人が死ぬときの一生の価値は、何によって測ることができるでしょう?私は、この青年の話を聴きながら、胸の奥深くから湧き上がる涙を抑えることができませんでした。それは、彼の誓いは、私自身が自分の魂に誓っていることと、深く共鳴したからです。続きは、こちらのブログで。。

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