1991年10月、私の宣言

1991年10月、私は下記のような文章を書いて、友人達に送りました。

それから、長い苦闘の年月を経て、今、それを本格的に拡げて行く方途が明確になりました。私の心、私の願いは、変化していません。カムナフトミチは、それを生きるミチ。これからが、新たな出発です。

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最近、J.G.ナイハルト『ブラック・エルクは語る スー族聖者の生涯』社会思想社教養文庫 1977年(絶版)、森田ゆり『聖なる魂ー現代アメリカ・インディアン指導者デニス・バンクスは語る』朝日新聞社 1989年という本を読みました。 これら2冊の本は、在日朝鮮人として生まれ、同化と抑圧の中で、自分なりに闘い、自分の(在日朝鮮人の)生きる方向性を模索してきた私が、なぜ、Native Americanに惹かれ、彼らから彼らのもつ世界観を学びたいと強く思うようになったかを、改めて明確に教えてくれました。在日朝鮮人として生まれた私が求める方向は、デニス達が闘って生きてきた方向でもあったのです。

露骨な人種差別と偏見との熾烈な闘いの過程で、何人もの同志を亡くし、自らも常に生命の危機にさらされる状況の中で闘ってきたデニス・バンクスは、彼の本の中でこう述べています。

…精神的であるということは宗教的であることとはちがう。それは人間と人間が、人間と自然が、人間と大地が、一つの環(サークル)となって互いの生命を敬いつつ生きることに他ならない。インディアンは環の力を信じている。サークルは、地上に生きる全ての物が、互いに深くつながりあって生命を営んでいることの象徴である。それはどこまでも生を肯定する。だから私たちは、この生命のつながりの環が切れることのないように祈りを捧げるのだ。宗教の教義にとらわれるのではなく、この生命の環の一部となって、他者を敬い、鳥を、木を、大地を敬うことが、精神性(スピリチュアリティー)の意味するところである。これがない社会は、たとえそれがアメリカであれ、ヨーロッパであれ、アジアであれ、アフリカであれ、決して正しく社会を運営し、導いていくことはできない。精神的な基盤のない社会に生きる人間は、ビジョンも方向も持つことができない。 …私たちが互いに手をさしのべあうならば、たとえどんなに疲れきっていても、また新たな活力を取り戻すことができる。それはあたかも輸血作用のように、生命力を息吹かせてくれる不思議な愛の力である。その力を信じるとき、私たちはエネルギーを、生命力をもはや失うことはない。…

私はこれら2冊の本を読みながら、何度も何度も身体の奥深くから湧き上がる涙を抑えることができませんでした。Native American の経験は、在日朝鮮人の経験であり、魂をも深く傷つける差別と抑圧の下に生きる世界中の被抑圧者の経験です。しかしそれ以上に私の心を深く打ったのは、彼らがその闘いのなかで自らのエゴ(狭い民族主義)を越えていったという点です。彼らの闘いが「政治運動である前に精神(スピリチュアル)運動」であったがゆえにこそ、全ての人が持つ魂の偉大な力を呼び覚ます闘いとなって広がっていったのでした。それゆえにこそ、ウンデッドニーの大虐殺から約百年の後に、大虐殺を目撃したブラック・エルクが偉大な啓示の中で見た「聖なる赤い道」へと、東・西・南・北のスピリットを表わす赤、白、黄、黒色の人種の人々が世界中から集まり、その聖なる道を共に歩くようになったのです。

私も、私自身にとっての「聖なる赤い道」を歩く旅をはじめたい。差別、抑圧 etc.の現実と向き合いながらも、人種、民族の違いを越えたところから、あらゆる差別を根絶し、全ての人と自然が、一つの環となる世界をつくる旅。自分の幸福だけを求めるのではなく、生首を切られ、生殺しの目に会っている多くの同胞の魂を癒し、あらゆる抑圧、戦いのない世界をつくる旅。この私のような存在でも、その道具として、全てを捧げたい。心からそう思います。(中略)来年から始めるアメリカでの生活は、私が今まで模索し、求めてきたことを、より明確に、より具体的に形づくっていくうえで、大きな転機になると思います。そこでは、Native American の世界観を学び、すぐには無理かもしれないけれど、彼らの心と身体の癒しの技術を、彼らから直接学べればと思っています。それを、現代社会の生活の中で活かせるようにすること、そしてそれを広くみんなと分かち合い、互いのスピリチュアルな成長に少しでも役立てたいと願っています。

いつまでも変わることのない友情を願いながら、心からの尊敬と愛を込めて……

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