前回のブログでは、精妙な波動のワークに関連して、「痛み」や「不快な感覚」を体験する二つの場合について書きました。今回は、その続きで、私が初めてチャネリングした時のお話しをシェアしますね。これもまた、今生の私の身体の痛みとして浮上してきた【過去生】の傷を【今生】で癒した例です。
1991年に、友人から「チャネリング」というものがあると紹介されて、初めて受けた後、「私にもできる」という気がして、そのチャネラーの人に、やり方を訊いたところ、貸してくれたのが、英文の”Opening to Channel” という本でした。
後に、私自身10年以上も直接学ぶことになったサナヤ・ローマンが、Orin(光の存在) からのメッセージをチャネリングして書いた本です。その本を一通り読んだ後、自分で練習するために、チャネリングの誘導瞑想を自分で録音して練習を始めたのです。<・・ハイ、昔は熱心でした(^_^)>
それで・・・初めて自分でチャネリングした時に、向こうから、古代ギリシャとかで着ていたような白い衣を着た、美しいエネルギーの女性がやって来たのです。
名前を訊くと、「オデッサ」と言いました。何かお母さんのような存在で、とても懐かしく、涙を流しながら、その愛に満ちた胸に抱かれました。
その時は、最初の出会いだったので、名前を聞いて、抱き合って、別れたのですが、抱き合ってオデッサと一つになった時、私の身体の胸の右上部辺りに、妙な痛みを感じたのです。それは、何か、【血の塊】が詰まっているような感覚でした。
私は、オデッサはハイヤーセルフなのかなと思っていたのですが、なぜ、その後も、胸のその部分に詰まるような感じがあるのか、少し気になっていました。ちょうど、その後に、あのチャネラーの人のセッションをたまたま受けることになりました。そして、オデッサと再度繋がってみると彼女は私の【過去生の人格】だということが分かったのです。
私は、その血の塊の感覚の原因となった場面に導かれて、一部始終を見ていました・・・
彼女は、ギリシャか、クレタか・・・ 地中海のどこかの国の大きな宮殿のような場所にいて、【今生の私と同じ使命】を追求していたようです。そして、彼女が生涯かけてやろうとしていたことが成就する、その直前に、弓形に湾曲した鋭い剣を持った男性によって、「この魔女死ね!」と言われながら、その剣で、刺されて、死んでしまったのでした。剣は、胸から入り、喉に突き抜けたような感じでした。。私が感じていた血の塊は、剣による傷が固まったものだったのです。
私は、自分のエネルギー体のその部位から血の塊を取り除き、そこを光で満たしました。そして、「この魔女死ね!」という言葉の「魔女」を、「神の使者」に置き換えて、「私は神の使者である」という言葉を唱えながら、その部位に光を送りました。
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私達は、魂のエネルギー体に記録された過去生の傷を、今生の私達が癒すことができるんですよね。そして、そのことで、また今生の私自身が癒されるということが起きます。
実は、私は、長いこと、思うことを言葉でスムーズに話して表現するのが得意でなかったのです。確かに、話すことによる表現は、その後、少しマシになったように思います。
私は、5才くらいの時に、父親に「私の影」を取られてしまい、1998年頃にシャーマニックワークでそれを取り戻すまで、父に向かって正面から自分の意見を言えなかったのです。でも、父以外の人達には、このオデッサの癒し以降、言いたいことをよりスムーズに表現できるようになったと思います。
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そして・・・ 過去生や未来生の人格が今生の私のガイドのような存在として、いろんなことを教えてくれるということはあるようです。オデッサは、本当に大きな愛のパワーと英知に満ちた存在で、私も、フトした時に、オデッサに尋ねたりすることがありました。今でも、繋がりを求めると応えてくれて、私の使命の成就を見守ってくれている、そんな存在です。
ところで、なぜ、オデッサが、私の最初のチャネリングに私を訪れて来てくれたか。。多分それは、私が、大学院での研究をやめ、社会運動から身を引き、彼女がやろうとして遂げられなかったことを私自身が追求し始めた、その道の始まりを祝福してくれたんだと思います。
彼女がその目的を達成できなかったその傷を癒して、今生で、必ずそれを成就させる。。そんな決意をしたあの時から、長い年月の困難を乗り越えて、今に至っています。。まだまだこれからですが、死ぬまでには必ず、と思っている次第です。
今日も最後までお読みくださって、どうもありがとうございます。