1992年の初春、オルターナティブな在り方を求めて、家族でカリフォルニアに移りました。数ヶ月後のある夜、私があることについて意見を聞いても、いつもと同じように「わからん」とだけ返事する前夫に、それじゃ裏庭に行って少し考えてみてと、言ったのでした。何時間か後に、裏庭から戻ってきた彼は、頭の中から別の存在からの言葉が湧き上がって来たと言うのです。そして、それと同時に、月に雲がかかっていたのが晴れたというのです。
その日から、私達は、ある「高次の存在」からのメッセージを受けとり始めました。「私達」というのは、その存在によれば、私の「アマナ(コア)」のエネルギーがクリスタルの役割をし、科学的な語彙を多く持つ彼の脳を通して伝えられる、ということで、二人でチャネリングをしたということだったようです。因みに、前夫は、医者で、「チャネリング」とはほど遠い人だったのです!
伝えられたメッセージは、彼が手書きで書きとめました。その時以来、私達は、その不可視の存在からのメッセージを、彼が帰日するまで、約2年以上に渉り受けとりました。
宇宙のこと等に関して、彼が持つ専門的な語彙を駆使しながら、本当に、深く広い観点からの理解をもたらしてくれました。伝えようとするメッセージを伝える為の語彙がないときは、まず本を読んで語彙を作るようにとアドバイスがあったりもしました。
その存在の言葉から溢れるバイブレーションは、愛と深い英知に満ちていた為、個人的な意見が混じっていた場合は、すぐにわかりました。2年間に手書きで書かれたメッセージは、厖大な量にのぼり、今もそのノートは全て保管しています。それらのメッセージは、多くの場合、カタカムナの用語を使ったメッセージだったのですが、その理由は、後でわかることになりました。
私達は、アメリカへでの生活費を、日本の家を売って捻出したのですが、その資金が底をつき出した渡米2年後の1994年の春、そのメッセージの主が、とうとう、自ら「カタカムナカミ」であると私達に明らかにしたのです!
「カタカムナカミ」は、自らを、地球が生まれた最初のトキから地球を見守ってきた意識体だと言いました。私達に伝えられたメッセージの内容は、表現は異なりますが、チャネリングのクラッシックとして知られるジェーン・ロバーツの『セスは語る』のセスが伝える内容に似ていることを後で知りました。
その高次の存在は、おそらく、宇宙的な目的で、様々な人々に異なる名前を使って、メッセージを伝え、それらは、受けてのフィルター(語彙)に応じて様々な表現で表されてきたと思われます。
カタカムナカミは、「自分の生まれた目的」を達成していくその具体的な途を真剣に求めていた私に対して、その問いへの応えとして、あくまでも私の自由な選択でいいのだけれど、「カタカムナの理解の一部を学問的に実証して、その理解から現代の問題を捉え返すという、統合の例を示す仕事をしたらどうかね」という示唆をくれました。
カタカムナカミは、「この道はイバラの道だが、至福の道でもある」とも言いました。「何故私?」という疑問はあったのですが、その方向は、まさしくカタカムナ文献に出会って以来、私が心からしたいと思っていたことであったので、私にとっては、深く共振、納得できるものたったのです。
私は、カタカムナカミに、「今生でその仕事を果たす為に身を捧げる」という約束(選択)をしました。
途中、様々な困難がありましたが、その約束を守って、今に至っているわけです。これからシェアしはじめようとしている「カムナフトミチ®」のワークは、その一貫です。
こうして、前夫との話し合いで、1994年以降、その約束を遂行するに際して、二人の娘は、私がカリフォルニアで一人で育てる、前夫は、日本からサポートする、ということになりました。そして、統合的なアプローチでの研究が可能である、カリフォルニア統合学研究所の博士課程に在籍して研究を始めたのです。
しかし、家族も誰もいないカリフォルニアで、一人で、幼かった娘二人を育てながら、博士課程の研究をするというのは、本当に大変でした。前夫も、日本で大変でした。
でも、たくさんの大小の「奇跡」と、私の家族の愛と、スピリット達に加護の下に、子供達は立派に成長し、私の研究も、縄文土器の文様に込められた、「創造の構造」についての世界観に関する研究で、10年以上かけて殆ど独学で、博士論文を完成しました。
それは、創造に関するカタカムナの「三」の理解を示す世界観
が日本やアジアの古層に存在することを示す為に、まず、縄文中期の土器の文様と、出土地域の祭祀構造を比較することによって、実証したものです。(とりあえず英文の博論のまま出版した本は、amazon.jpから購入可能です。)
「カタカムナカミ」と約束したことを守る為に、なんとか、2006年に博士号を取得したわけです。
そして、その後、ようやく、これから本格的に使命を実現していこうと、期待に胸を膨らませて歩み始めるのですが。。2007年以降、思いもしなかった困難を経験することになります。続きは、またの機会に。。