「スピリチュアル」の落とし穴

最近のニュースを見ると、いい状況とは言えない世界に突入しているように見えますね。来年は、大きな変動の年になりそうです。こんな時こそ、準備しておくべきことがあると思います。そこで、今日は、「ワンネス」と言われる内容に関連して、「スピリチュアルの落とし穴」に触れながら、お話しを始めたいと思います。

20代の頃の私は、社会の問題を見るにつけ、「自分に何ができるだろうか」と真剣に悩み、自分なりに解決するチカラになりたいと長い間、市民運動に関わっていました。そして・・・それらの長年の活動を通して行き着いたのは、「まず自分を光で満たす」ということでした。

その後長い間、「自分の」癒し、「自分の」スピリチュアルな成長に、自分がカミと約束したことに、多くのエネルギーを向けて来ました。そして、気づいたことは、「自分の」癒しや成長は、【自分だけに意識を向けては達成できない】ということです。当たり前のことなのですが。。。

25年前頃は、その「まず自分を・・・」というのは、ニューエイジのスピリチュアルな教えと合致し、「これから宇宙人になっていく時代で、その為の瞑想をするべきなのに、社会の問題を気にする時間などない」という人から、「困難な問題に直面するのはその人の『カルマ』だから、自分とは関係ない」という見方まで、様々でした。今もそのような見方があるかもしれません。

苦しむ本人自身が、問題を乗り越え、自分の内から変わろうとする際に、「魂の課題」を理解して、それを体験した自分を認め、過去を赦す・・・というのは、わかります。私もクライエントにその過程をサポートしています。しかし、誰かが苦しんでいる時、「その人の『カルマ』だからだ、自分とは関係がない」と冷たい意識で突き放す、そんな在り方を、私はいつも疑問に思っていました。そして、確信するに至ったことがあります。

精妙な波動のレベルでは、私達は、本当に一つです。互いが本当に密接に繋がっています。一人の愛、一人の憎悪、一人の嫉妬、一人の喜び、そして、一人の思考、意図、それらは、全て、私達の無意識のレベルで、多大な影響を与え合っているということです。一人がここで怒り狂えば、地球の反対側で竜巻が発生する、ということさえあり得るのです。私達が、距離を離れても、どれだけ密接に互いに繋がり、影響しあっているか、ということは、量子物理学の科学者達によって、30年以上前から、論じられて来ていることですが、それを、実感を持って、感じるこの頃です。

世界は、一つに繋がっている・・・それは、例えば、身体の一部の調子が悪くなると、その部分の調子の悪さは、その部分だけに完結するものではなく、他の部位にも影響を及ぼすのと同じようなことです。またその逆に、身体が無理をしてバランスを崩した為に、身体のある部位に異変が起こるということもあります。世界の天変地異は、それと相似だと思います。とすると、例えば、自然災害を受けた人達は、その他の地域の意識などの歪みを、身に背負ってくれたもの、ということにもなるのです。

過去(もしかして今も?)、ニューエイジのスピリチュアルが、例えば、そのような人達に対して、「その人達のカルマの為だ」と冷たい見方で突き放して見たとすると、それは、大きな間違いだということなのです。また、逆説的ですが、「自分の、云々」ということだけに留まるなら、「自分の」成長はあり得ません。ニューエイジのスピリチュアルは、「まず自分から」ということが、強調されていたのですが、それにも、バランスが必要だということです。

人は、他者との関係の中で生きるもの。人の才能や能力は、他者との関係で使って始めて活かされるものだからです。たとえですが、高い性能のある機械は、大事にされ、勿体ないので使われずに、押し入れに入れられていました。そうこうするうちに、世界のニーズが変わり、その機械は、古びてしまいました。。

もし、その機械が使われていたら、人々の手垢にもまれ、あちこち傷ついたりしたかもしれません。でも、 人々のニーズに応じて、改良され、改善され、より良く変化していたことでしょう。それは、「人々に使われる」ということがあったからこそです。私達も、たとえ「些細なものだ」と思っていても、自分の持つ才能や能力を、誰かの為に、何らかの形で使うことで、日々、改善し、成長する機会を与えられているんですよね。

因みに、例えば、心が傷ついて、「引きこもり」の状態にある場合、意識を外に向けていくのには、大きな一歩が必要かもしれません。でも、すべてには、バランスが必要なんですね。「自分」に意識が向きすぎていると、鬱的になることがあります。そんな時は、少しずつでも、意識を自分以外の世界に向けることが助けになります。また、「こんな些細なこと」と思うことでも、それを受け取る人にとっては、心から有り難いこともあるのです。自分の判断基準は脇に置いて、持っているものを誰かの為に使う、ということに意識を向けましょうね。

でも、心の傷云々と言うまでもなく、自分のことや、自分の家族が生きていくだけで精一杯、というのが、殆どの私達の現実だと思います。【他者の為に自分を活かして、愛と感謝を感じながら、お金に困らず生活したい】・・・このように思っている人が、ほとんどだと思います。こんな当たり前のことが、叶わないとしたら、その世界は、本当に普通ではないのです。でも、こんな「当たり前のこと」を、実現するのが難しい世界に、私達は生きているんですね。

どうしたら、その「当たり前のこと」が、当たり前になるでしょうか?それが当たり前になる世界を創る為に、自分の生活ですら精一杯の「私」に、何ができるでしょうか?・・・私は、それは、「○○を使うことだ」と思っています。次回、そのことをお話ししたいと思います。

アマナ

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