「障害者はお荷物」という意識

相模原市の施設で生命を奪われた19名の方のご冥福を心からお祈り申し上げます。

この事件を起こした男性の「障害者はいない方がいい」というその意識、その意識によって生命を奪われた方々を思うと、深い悲しみに襲われます。そして、その意識を考えると、何とも言えない思いに心が沈みます。

この障害を持つ人に対する認識は、何を「成功」と見るのか、何を「幸せ」と見るのか、ということについて、私達の社会の多数派の意識を反映しているように思うのです。

容疑者の狂気の行動、それは決して許すことのできないことです。でも、それと同時に、彼がそのような意識をもって、何の問題も感じないでこの犯罪を実行に移した、その現象を生み出す背後の大きな集合意識は、私達一人一人が形作っています。そのことを思うと、何とも言えない気持ちに心が沈むのです。

魂が「障害を持って生まれる」ということを選んだ、その理由は、様々にあると思います。でも、一つ言えるのは、そのような生を選択した魂の強さ、愛の深さです。

それがなぜ「強い」のか。魂が、制限ある心身の生を選ぶということは、その個人がそこから学び成長する【強さがある】ということが前提にあって初めて可能です。その生を生き抜く強さがあるからこそ、魂はそれを選ぶことができるのです。一つの生れ変わりで、3つ4つくらいの生れ変わりの学びと成長のプロセスを経ることさえ可能だと思うのです。

そしてまた、それがなぜ「愛の深さ」を表すのか。ある魂は、その家族に大きな成長の機会を提供するために、障害のある生を選ぶことがあると言います。自らは、社会の「成功者」の基準からは、遙かにかけ離れた存在となることを選ぶことによって、その家族に言葉に言い尽くせないような深い学び、深い愛と祝福の機会をもたらすのです。

本当に、表面的な尺度では計り得ない魂の愛の意図が、個々の生命の選択に、込められているのです。

その意図を成就する貴い機会を奪う権利は、どのような人間にもありません。

この社会の多数派の意識は、障害を持つ人は「お荷物」だという意識が
どこかにあるのかもしれない、そう思います。

例えば、東京の電車の乗り換えで、障害者が一人で自由に行動できるようなインフラは、ほぼ皆無です。

私は、2年前、東京で長期間にわたるセミナーに参加する為、あちこちの安いホテルを選んで泊まった為に、頻繁にホテルを変えていたので、ほぼ毎日、古くて重いスーツケースを持って移動していたことがありました。体力がそれ程ない私にとって、その移動は、とってもつらいものでした。重いスーツケースを担いで階段を上り下りせざるを得ないところが、ほとんどだったのです。エレベーターはどこか、駅構内の端の、どこか遙かかなたの、大きく遠回りしないとアクセスできないような、そんな所にしかなかった。ベビーカー、車椅子の方達は
どうしてるんだろうと思いました。

ちょっと比べてみると、例えば、私が住んでいたバークレーやベイエリアという地域も、福祉はそれ程充実しているわけではないですが、障害者が一人で車に乗ったり、一人で街中を車椅子で移動したり、買い物に行ったり、集まりに参加したりしている姿があちこちに見られました。

このような違いは、障害に対する考え方の前提が違うからだと思います。

障害者が社会の「お荷物」だという捉え方から、学びをもたらしてくれる祝福された存在として、私達の意識が変わって行かないと、今回の事件は、容疑者一人の異常性の問題として片付けられて、

経済的に厳しい世相になるにつれ、「弱者は社会のお荷物」という意識が、なくなるどころか、ひどくなっていく可能性も考えられます。

・・・

まずは、私達自身が、魂のレベルから理解する視点を持って、異なる存在への尊敬をはっきり持つことから変化を作れたらいいなと思います。だって、私達は、本当に、深い意識のレベルでは、一つに繋がっているんですから。

今日も最後までお読みくださり、どうもありがとうございます。

 

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