尹東柱「序詩」、私の誕生日の朝に・・

誕生日の今日、朝から、なぜか、尹東柱(ユン トンジュ)の詩、「序詩」が言葉について出てくる。

「死ぬ日まで 天を仰ぎ、
一点の恥ずることなきを
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛めた

星を歌う心で
全ての死にゆくものたちを愛さねば
そして わたしに与えられた道を
歩んで行こう

今宵も 星が風に晒されて啼いている」

・・・・

数十年前の19才のソウルの冬、
魂の愛の出会いの喜びの中で、
二人並んで歩きながら、

共に唱った詩
共に心に誓った言葉

あれから、長い年月、
その同じ心を胸に抱き、
私は何を成し遂げてきたのだろう

愛する人達を
どれだけ愛することができただろう

私を通して
どれだけ愛を顕すことができただろう

・・・・・・

娘達が誕生日のサプライズギフトに、三つの輪が繋がったデザインの小さなダイヤのネックレスをくれた。そのネックレスを見て、涙が止まらなかった。一人で育てた私の大切な娘達。。 その娘達は、そのギフトを通して、「どんなに離れていても、そのネックレス飾りのしっかりと繋がった3つの輪のように、いつまでも3人繋がっているよ」と、私に伝えてくれた、その思いに泣いたのだ。

・・・

私の過去生の中で、思い出すと、いつも胸が一杯になる「記憶」がある。・・・私は、海に面した小さな村で、沢山の子供達の母だった。生活は貧しいながらも、子供達に様々な生活の知恵を教え、貧しさの中にも日々の喜びがあった。そんな中で、いつも私が子供達に話していたこと。それは、「あの大海原の向こうに出ていき、広い世界を知って、自分が世の中の為にできることを見つけるんだよ」ということだった。

子供達は、そんな私の言葉を聞きながら育ち、そして、広い世界へ旅立って行こうとした。しかし、それが可能だったのは、男の子だけだった。。貧しさの為、そして、その時代と社会の制限の為、なんとか送り出せたのは、男の子達だけだった。娘達の「なぜ?」という言葉と悲しさに打ちひしがれる姿に、私は、心から胸を痛め、心から悔しく思った。

そんな思いが残っていたのか、今生では、私は女の子を育てたかった。それも二人という少数精鋭で、自由な海外で育て、それぞれの持てるものが最大限大きく育つようにと、自分にできる精一杯をやって生きた。そして、今日、娘達から、私のいるところから遠く離れた世界で生きても、「3人いつも繋がっているよ」というメッセージをもらった。

これから、私が19才の時に心に誓った生き方を、死ぬ日までどのように貫いていくか。。

今日が、再出発。

・・・

尹東柱は、天を仰いで、自分の魂の真実を表現し、高校生の時に、神社参拝を拒否した為に、同志社在学中に、思想犯として日本特高警察に逮捕され、1945年2月、28才の若さで獄死した。自分の魂の真実を表現することが命を脅かす世界に生きた尹東柱にとっては、自らに恥じることなく生きることが、肉体の「死」を意味した。

今、私達は、自分の魂の真実のままに生きることが、必ずしも、肉体的な「死」を意味しない時代に生きている。しかし、真実のまま、言葉を発し、行動に移すこと、そのことで、「なくすもの」は必ずある。選択して生きる、ということは、何かを得る代わりに、何かを失うということだ。小さな「死」を経験するということ。

その小さな「死」を通して、魂の真実、自分の大切にすることの為に、小さな「死」を受け入れる勇気。私達が生きる世界でも、小さな「死」を受け入れて、一歩を踏み出す勇気が、日々問われているのかもしれない。

勇気を持って一歩踏み出すと、宇宙のチカラは、「大丈夫、本当のあなたを表現して!」と、その応援を益々強めていく。・・・・

「本当の自分」である為に、私が手放すことは何だろうか?私を踏みとどめているものから一歩進む為に、必要な一歩はないだろうか?来月、この世に別れを告げるとしたら、今日私は何をしているだろう?そんな問いを自分に投げかけながら、今日からは、思いを新たに、「死」を受け入れながら、小さな一歩を歩いて行こう。

そして、死ぬ日まで天を仰いで、自分に恥じることなく、生きていきたい。

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